桃李塾かわら版~その12~
- mnakamuracbb
- 9月3日
- 読了時間: 2分
暑さが収まらず、秋が待ち遠しい限りです。
政局は未だ治まらず、自民党総裁の責任問題を問い続け、野党のどの党と野合しようかとの、決められない政治が日本の行く末を不安にするばかりです。
世界は、北朝鮮とロシアが、アメリカのトランプ大統領の策略に乗って、同盟?的動きをするのか、中国・習近平国家主席の策謀に加担し、手を組むのか。
冷戦は今や、アメリカ対中国です。
日本としては、自由主義国としてアメリカに加担しても、アジアの一国としても悠長に構えておられる立場ではありません。
どうかしろよ。はっきりせい。日本政府。リーダーがいない、、、嗚呼
一会一言 吉田松陰名語(十二) 川口雅昭
今日よりぞ幼心を打ち捨てて人となりにし道を踏めかし
安政二年正月「彦助の元服を祝す」
【訳】
今日からは、親に甘えたり頼ったりする幼い心を振り捨てて、
自立した人間としての道をしっかりと踏みしめて生きていきなさい。
【解説】
彦助は玉木彦助、松陰先生の叔父・玉木文之進の子で、先生の従兄弟である。
先生の彦助に関する史料は多い。その中でも最もみるべきものは、彦助の元服を祝って贈った「士規七則」であろう。現在に至るも、これは先生の精神を代表するものとして人口に膾炙している。しかし、その真の目的は彦助に与えた激励と思われる。
安政元年、先生は十四歳の彦助を「憤悱(深く考え、言葉にできず、理解しようともがく)を待つ」と激励している。しかし、当の彦助は、十六歳になっても依然「漁撈(魚取り)」を「命」とする青年であった。
彦助教育には『蒙求』『方正文粹』を最も使用している。前者は唐代の幼児用教科書、後者は方孝孺の文集で、「才智」ではなく「気節」を強調するものである。彦助のことを考えてであろう。
なお、彦助は後に「御楯隊」に入り、慶應元年(1856)、戦病死した。享年25歳。
今の生き方を省みたい。
桃李塾とは
「心ある日本人たれ」を塾是とし、中・高校生を対象に、国家社会のリーダーたる人材を育成することを目指しています。
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