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桃李塾かわら版~その13~

やっと朝晩が涼しく感じられるようになってきました。

1期生に高校三年生の塾生が居ます。大学受験など進路を決定する旨の情報を耳にします。大学に行くことだけが人生の到達点ではないにしろ、本人たちにとって大きな人生の転換点となります。大学で高等教育を受けることで、社会的ステータスを得るのを目的とするのではなく、己の未熟を学び、世のため人のためになる学問を修めることに期待します。「今だけ、金だけ、自分だけ」の世の中に敢然と戦う士になってもらうために。


一会一言 吉田松陰名語(十三) 川口雅昭

西子不潔を蒙るは、俊才博学にして美徳善行なき者の譬とすべし。悪人斎戒沐浴するは、劣才陋学にして美徳善行ある者の譬とすべし。然らば則ち士に貴ぶ所は徳なり、才に非ず。行なり学に非ず。此の章を読みて以て士の先務を知るべし

安政二年十一月「講孟劄記」


【訳】

「美人の西子でも不潔のものをかぶれば、人は皆鼻をつまんで通り過ぎる」と『孟子』にある。これは、優れた才もあり学問もあるのに、美徳善行がない人の例にすることができる。また、「どんな醜い人でも、斎戒沐浴して身を清めれば、天帝のお祭りを奉仕することができる」とある。これは才も劣り学問も狭くとも美徳善行がある人の例にすることができる。とすれば、士たる者の貴ぶものは徳であり才ではない。行動であって学識ではない。この章を読んで、士たる者のまず務むべきは何かを理解するべきである。


【解説】

八月の講義で、目標は頭のいい人か人徳のある人かと聞いた。中学一年生の子が「人徳のある人間になる方法は何か」と聞いてきた。「心存すれば則ち堯舜なり〔(堯・舜の)心があるならば、堯・舜=聖人である〕」と教えた。彼はすでに「士」である。


桃李塾とは

「心ある日本人たれ」を塾是とし、中・高校生を対象に、国家社会のリーダーたる人材を育成することを目指しています。

桃李塾では、定期的に私たちの活動状況などをお送りします。

心で感じて、心を読んで、心にふれて、そんな思いに御支援をお願いします。


 
 
 

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