桃李塾かわら版~その8~
- mnakamuracbb
- 8月7日
- 読了時間: 2分
皐月、この季節は、新緑が快晴の空に映えなんとも清々しいですね。
近隣の公園のつつじが咲き誇っています。何と美しい。今年の桃李塾のチラシは、新緑をイメージした緑が基調にしました。佐賀を中心に3500枚配布しました。どんな塾生が集まって来るか今から楽しみです。
一会一言 吉田松陰名語(八) 川口雅昭
聖は純金の如し。(中略)堯・舜・孔子の如きは百両金なるべし。(中略)湯・武は五六十両などと、各〻軽重の差はあれども、純金たることは同じ。今吾が輩と云へども私欲を消尽し天理純全ならば、亦自ら一両や二両の純金はあるべし。然れども後世の学者力を此の処に用ひず、徒らに才力智力を尚ぶは銅鉄を混じて金の量目を重くせんとするが如し。故に愈〻学んで愈〻聖を去ること遠しと云へり。
安政五年四月「講孟劄記」
【訳】
(明の王陽明は)聖人は純金に似ている。(中略)堯・舜や孔子のような聖人は百両の重さの金であり、
(中略)湯王や武王は五、六十両などというように、それぞれ重さに差があるが、純金であることは同じである。
もし我々でも、私欲をなくし、天理そのままになるならば、一両や二両の純金の量はあるであろう。
それなのに、後生の学徒はそのような努力をせず、意味もなく才力・智力を大切と考え、その習得にばかり努力しているのは、
鋼や鉄を混ぜて目方を重くしようとしているようなものである。
だから、学問をすればするほど、聖人から遠のいている、という。
【解説】
知識・学歴・肩書きに非ず、心である。失った良心を求めよう!
桃李塾とは
「心ある日本人たれ」を塾是とし、中・高校生を対象に、国家社会のリーダーたる人材を育成することを目指しています。
桃李塾では、定期的に私たちの活動状況などをお送りします。
心で感じて、心を読んで、心にふれて、そんな思いに御支援をお願いします。


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